2018 UTMB 完走レポ

  • 2018.09.23 Sunday
  • 05:15
【UTMBレポ (超長文注意)】


【UTMBとの出会い】

初めてランニングしたあの日、3kmで筋肉痛になった。

大きな挫折を味わい、すべての目標を失っていた時、希望をくれたのは偶然ヒットしたUTMBの動画だった。


「なんてすごい世界なんだろう!出てみたい。」


漠然とそう思った。
初めて行った山は神奈川最高峰 蛭が岳往復だけで足がガクガクになった。

それでも楽しかった。もっとやってみたいと思った。
5年前あそこから始まった。

【5年目でついにUTMBへ】

5年が経ち、ついにそのスタートに立つ時が来た。
シャモニーのスタートに、UTMBのテーマが流れたとき、涙があふれた。

「ついに来たんだ。」

すさまじい大観衆の中を走り出した。

夢のようだ。でも現実だ。自分は世界最高峰の舞台を走っている。
見えないけれど、自分の前にはあのキリアンジョルネ、グザビエデヴナール、ジムワムスレーが走っている。
この動画と全く同じ道、同じ景色を走っている。

【体調悪化】

スタートは辛うじて小雨の中、あまり雨を気にせずスタート出来たが、サンジェルベのエイドからコンタミン30kmまではかなりの雨になった。

コンタミンまでは順調にすすんだ。



前半8時間経過のころ、体調が悪化した。50km Les Chapieuxのエイドでは手がしびれはじめ、吐き気がひどかった。
30分は止まらざる負えなかった。どんどん抜かれ、大きく順位も落とした。

やっとの思いでLes Chapieuxを出発するが、体は動かない。


そのあとは睡魔が来た。眠くてまっすぐ進めない。自分が蛇行しているのがわかる。でも進まなきゃ。

最も順位が落ちた時は60km地点、Col de Seigne「595位」。

夜が明け始めると、見たこともないとがった岩山と巨大な氷河が現れた。すごすぎる。

なんという景色!


80kmクールマイヨールまでの下りで急に体は軽くなった。
家族が迎えてくれたエイド。カレーメシが身に染みわたる。
エイドアウト、息子が一緒に走って送り出してくれる。

いつもエイドで一生懸命応援してくれた。

どんなに苦しくてもゴールしたい。そう思った。

そして、もう二度とないかもしれないから、世界最高峰のUTMBを走る、父の姿をしっかり見ていてほしかった。


【リタイヤの危機】

グランコルフェレ、コース中最高峰。
しかし再度体調悪化。強烈な睡魔と吐き気、気温マイナス5度、突風、命の危険を感じ始める。

食べることができない。エネルギーがない。体温が下がっていく。眠い。

「なぜこんな大会に出てしまったのか」、自問自答を繰り返す。


「もうやめよう。二度と出ない。」
「いや駄目だ。進め、進むんだ。」 
自分の中で2人の自分が葛藤し続ける。 「この峠で動けなくなったら死ぬ。とにかく超えろ。少しでも早く超えろ。」 ぶつぶつと唱えながら進む。



写真 最もキツかったコルフェレ、目の隈がすごい。

コルフェレは地獄だった。超えても恐ろしく長い下りが待っている。補給できていないから踏ん張れない。ヨレヨレで何度も転びそうになる。

走ったり歩いたり。ストックにしがみつくように下った。

走れないから、下りが終わらない。ラフーリーのエイドはまだか。


110km La Foulyには完全にゾンビになって倒れこんだ。

「もうだめだ、家族の帰国に間に合わない、一緒にゴールできない」

そう思った。


【復活】

その時、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

頭を上げるとラフーリーエイドの大きなモニターにビデオメッセージが!


シャモニーの原っぱで側転やでんぐり返しをしながらカメラに向かってきて
「パパ、頑張れ〜〜」

あまりのおもしろ動画に、吹き出してしまった。

ゾンビのような顔だったけど、笑うことができた。


このLa Foulyエイドのビデオメッセージは効いた。

絶妙な場所で配信される。このエイドは多くの選手が満身創痍だった。


「行くんだ、あきらめるな」
よろよろ立ち上がり、無理やりパンケーキを押し込んだ。

気持ち悪くて今にも吐きそうだけど、押し込んだ。

「食え、食うんだ!」


全てがまずかった。気持ち悪くて食べたくなかった。でも押し込んだ。


足も完全に崩壊していた。痛すぎて訳が分からない。 110kmラフーリーから125kmシャンペまではほとんどが下り基調の林道と舗装路。 頭の回線をぶった切った。


【リミッターカット】

「走れ、走れ!」

林道、ロードは全部走った。 どんどんペースを上げて。何としても家族がいる時間にゴールしたい。
コルフェレで相当な時間を失っていたことはわかっていた。
走れる場所はひたすら走り少しでも挽回しなくてはならなかった。


激痛の足で走り続けていると、痛みがマヒしてきた。もはや痛くない。

じゃあペースを上げよう。Champexへの登り口までは一度も歩かなかった。


120km シャンペには予想到着時間より1時間早く着いた。サポートがついたばかりで子供たちが


「もう来たよ!」とびっくりしている。

娘がバーナーでお粥をあっためてくれた。

「もっとあっためる? ぬるくない?」
すごく気を使ってくれた。

【父として】


娘が4歳の時、私は彼女の父親になった。いろんな葛藤があった。

ずっと、私はいい父親になれているのだろうか、娘は私をどう思っているのだろう。

その見えない悩みが消えたことはない。だけど、娘は一生懸命サポートしてくれた。

表情にどこか誇らしさを感じていた。
絶対にゴールしよう。娘が少しでも誇りに思ってくれるように、少しでも上位でゴールしよう。


娘はまだ一度も私と一緒にゴールしたことがなかった。

初めての海外レースのモンブランマラソンは、学校の行事で一緒に来れず、一緒にゴールできなかった。

もう高校生、これが最初で最後のチャンスかもしれなかった。

「絶対に35時間以内にゴールする」

これがタイムリミットだった。これを過ぎると飛行機に間に合わず、彼女たちはシャモニーを出発しなくてはならなかった。


【286人抜き】

シャンペのサポートで完全にスイッチが入る。

シャンペからしばらく林道になる。足は完全にマヒし、km5分ぐらいでどんどん抜かし始める。

135kmトリオンに越えるフォークラズ峠でも20人ぐらい抜かす。

CCCの時はトリオンへの下りで調子に乗りすぎて、そのあと崩れたので、この下りはセーブする。

トリオンの後の2個目の登りが鬼きつかった記憶がある。


トリオンも予測時間の1時間早く到着。息子がエイド前で

「パパー!」と待っていてくれる。

140km Trientエイドには309位で到着。
60km地点の「595位」から「286人」抜いた。

どんどん力が湧いてくる。


また娘がおかゆを用意してくれて、たっぷり食べる。
大会には申し訳ないが、大会エイドのものはもう一切食べられない。

STCのOxyshotをとり、すぐにエイドアウト。


記憶どうりの鬼登りが始まる。大瀬さん、元気なら走れるくらいの傾斜って言ってたなあ。絶対無理だなあ。ここ走れる人はトップ10の選手ぐらいだろ、、なんてぶつぶつ思いながら、丹羽さんがレクチャーしてくれたダブルポールでガシガシ上る。

ここでもどんどん抜かす。
不思議なくらい体が動いた。遥か彼方にヘッドライトの光が見えると、その選手には必ず追いつけるという理由の無い自信があった。でもそれは思い通りにできた。

視界にとらえるすべてのランナーを抜かしていった。

ここまで来ると、下りの激痛に耐えながら、必死に下るランナーばかりだった。私の足は痛みを超越して、完全にマヒしていた。

行けるところまで行こう!

激坂のTsueppe284位で通過。ヴァロルシンへのきつい林道もガンガンに走った。ヴァロルシン迄の下りは一度も歩かなかった。
153kmヴァロルシンに263位で到着。
最後のおかゆを食べる。

最後のエイドには妻だけがいた。子供たちは眠ってしまったそうだ。 おかゆを用意して待っていてくれた。

またおかゆをしっかり食べ、うどんも食べて、STC OxyshotとOver Blast、Last Kmを飲んで、素早くエイドアウトする。


「大丈夫、行ける。ゴールで待ってて。ありがとう。サポート嬉しかった。」

そう告げてエイドを出る。

2016年のCCC。ヴァロルシンで落ちた。何も食べれなくなり、そのあとペースダウン。最後のTete aux Vent で吐き、最後の最後で崩れた記憶がよみがえる。

【爆走】

今回は別人だった。ヴァロルシンからの電車沿いをだらだらと上る林道は爆走した。

もうもはや自分だけの力とは思えなかった。

みんな歩いている結構な登りも駆け上り、一瞬で抜き去っていった。力がみなぎり、無限に走れそうな感覚だった。
遥か祖先のDNAが覚醒して、山の中で獣を追いかける猟師か、獣自身になったような不思議な感覚だった。

まるで山の精霊が自分に宿ったような、未知の力だった。

ヴァロルシンからの緩いのぼりは、かなりきつい一部を除いて90%以上は走り続けた。

フレジェールへの上り口Tres le Champまでの約6kmで、ヴァロルシンの263位から236位まで「6kmで27人」を抜かした。

そしてついにフレジェールへ向けた最後の2山を迎える。

遥か上方にちらつくヘッドライトの明かりを追いかけ、一人また一人と捉えていった。Champexからの50km誰一人として抜かされることはなかった。


フレジェールからの2山の下りはエゲツなかった。体はガンガン走りたがっているのに、到底走れないコース中最大のテクニカルダウンヒルだった。

ほとんど走れなかったが、前を行くランナーにとってはさらなる困難で、この下りでも数人パスした。

【家族の待つゴールへ】

ついに丹羽さんとの試走会で見た、フレジェール最後のエイドが見えてきた。 最終エイド La Flegere163km 223位で通過。ヴァロルシンから丁度40人抜かした。

「間に合う!家族の待っているゴールに間に合う!」

嬉しさがこみあげて、苦しさなんかみじんも感じなかった。

「ここから下りで10人は抜かす」

そう勝手に決めつけ、フレジェールはコップ半分コーラを飲みほし20秒でエイドアウトした。

シャモニーへの下りを爆走した。

途中ガスっており、慎重に行かざる負えない場所もあったけれど、スカイランニングかのように、駆け下りる。
下に見えてきた明かりのランナーは全員パスした。
フロリアを抜けさらに走りやすくなった所ではさらに加速した。

そしてついにシャモニーの町へ降り立つ!
「あれ??コースが変わってる!!」
今まではずっとツアーの宿の目の前を選手は通ったけど、今回から初めてのルートになっていた。
一瞬戸惑うが、マーキング通りに進む。
シャモニーの町中に入り、川沿いの道に出る、今年から設置された歩道橋。きっとあの階段が地獄だろうと思っていたけれど、足が完全にマヒしていて、いくらでも走れるので、歩道橋も一段飛ばし全力ダッシュで一瞬で乗り越えた。


スタッフの「ウォー!不可能だろ!」の声が聞こえる。
でも何故か出来てしまった。自分の体が自分ではないような感覚、一瞬で歩道橋を超えて、いよいよ町の中心地へ。
シャモニーの中心街、石畳の直線の先に、娘と息子、そしてママが手を振っている。


「いた!!」

着いた、ついにゴールにやってきた!

UTMB 170km 獲得標高10000m 自らの足でフランスからイタリア、スイスを抜けてまたフランスへ帰ってきた!

本当は泣くはずだった。ボロボロになって、最後は必死の思いでゴールにたどり着くと思っていた。

でも、不思議な未知の力があふれて、バリバリに元気だった。あと10km全力で走れるくらいの力がみなぎっていた。 だから、笑顔だった。

息子は半分寝ぼけていて、追いついたら全力で走りだした。


「おいおい、待ってくれよ、いつものヨーイドンじゃないんだよ!みんなで一緒にゴールしよう」

最初から最後まで頑張ってサポートしてくれた子供たちとママ。息子と娘に挟まれるように手をつないだ。

娘と手をつないだのは何年ぶりだろう。
いつも遠征遠征で全然家にいない父親だった。

2か月も離れるとき、小さい頃は出発前ぎゅっと手を握ってきたことを思い出す。

もしかしたら、これが最後かもしれないな。そう思いながら娘と手をつないだ。 4人が一列に手をつないで、最後の30mをゆっくり走った。

32時間前にスタートした、Place de Triangleは人もまばらだった。時間は深夜2時40分。でもそんなことは全然気にならなかった。

32時間一緒に戦ってきた家族がそこにいるから、家族と一緒に応援してくれたJordanと、丹羽さんのサポートを終えたKevinもゴールに駆けつけてくれた。
「ありがとう!本当にありがとう!」

感謝しかなかった。
100マイルを走ると普段なかなか言えない、心の底にある素直な気持ちが出てくる。

「ありがとう」

ゴールラインの直前でみんなで止まり 「いちにーの、さんっ!」

でジャンプしてゴールをまたいだ。

ずっとずっと夢見てきた家族みんなで世界最高峰のUTMBのゴールアーチをくぐった。

「夢がかなった」

中盤までは決して予定通りにはいかなかった。でも終盤未知の体験が起きた。終盤は過去最高の走りだった。

本当に気持ちよく100マイルを走り切った。

32時間40分31秒 171? 獲得標高10000m 総合211位/2300名 年代別 V1Hカテゴリー78位。 
アジア8位
最低順位 596位 Col de Seigne 60?
最高順位 211位 Chamonix 171? (385人抜き)

ゴールアーチでみんなで写真を撮り、フィニッシャーズベストを受け取り、一緒にホテルへ帰る。
ママはすぐに荷造りをし、3時間後子供たちと一緒にジュネーブ空港へ出発した。

今までで一番苦しくて、過酷で、世界最大で、一番幸せな 32時間40分31秒だった。

「ありがとう。今までのすべての出来事に、感謝します」

#フィールズオンアース #SINANO #STC 

ついに UTMBのスタートへ

  • 2018.08.31 Friday
  • 07:19
ブログ更新、すっかり途絶えてしまった。

鬱に苦しみ、生きる希望を完全に失って廃人になっていた自分が、たまたま出会った UTMBのネット動画。

そこが全ての始まりだった。
あの動画を見ていた時、まさか今の自分がこんな所に居るなんて夢にも思わなかった。

初めて走って見たあの日。3kmで筋肉痛になった。

今日、世界最高峰 UTMB170km 獲得標高10000m のスタートラインにならぶ。

全てを捨てて無になり、トラックドライバーをした日々、排ガスまみれの真っ暗な夜の産業道路を深夜に30km帰宅ランした日々を思い出す。

あの時、私の頭の中はいつもモンブランを走っていた。

あれから4年半、ついにたどり着いた。
ずっと追いかけて来た世界最高峰の舞台。

残り170km。

嬉しいのと同時に、寂しくもある。
UTMBは、そこを目指して居るプロセスこそが、最高に充実した輝いて居る時間。

世界中に同じレースを戦った仲間が居て、世界中で私のレースを応援してくれる人たちができた。

トレイルランと言うスポーツが、あの廃人だった自分に、どれ程の豊かな時間を与えてくれたのだろう。

感謝しかない。

多分スタートで泣いてしまう。

あと10時間でその時が来る。

全てに感謝して、170kmを進みます。

グランレイド レユニオン Diagonale des fous ついにマイラーに

  • 2017.11.20 Monday
  • 19:34

グランレイド レユニオン Diagonale des fous 165km 9543m 参戦記

人生初の100マイルレースに出ることになった。 大会の約1ヶ月前だった。
行けるかどうか、仕事のこともあり不明だったが、溜まりに溜まった代休と有休を使って行くことにした。

40歳になった今年、UTMBでマイラーデビュー予定だったが抽選に外れた。
目標を失い、いまいちランに気持ちの入らない日々が続いていた。

でも、心の何処かで私はレユニオンに熱い情熱を感じていた。

そして大会1ヶ月前に急遽出場を決めた。
ウルトラトレイル ワールドツアーに挑戦するサロモンの大瀬選手、丹羽選手の参加サポートも兼ねて同行することにした。


レユニオンは事前情報があまりなく、私の友人で過去にCCC3位入賞経験のある、アントニー ガイ選手と連絡を取り合い、大会の情報入手に努めた。





レユニオン17 で6位のアントニー レユニオンにはマファテと言われる非常に山深い地域があり、65kから120kまで、個人サポートが極めて困難なエリアがある。リタイアしても何十キロも歩かなければ街に出られない。

大会のエイドはあるが、補給食などはヘリで運ばれる。

グランレイド レユニオンは今年25周年。トレイルランとしては非常に古くからある大会と言える。

それだけに島最大のお祭りと言われるほどの盛り上がりを見せ、レユニオン人にとって Diagonale des fous を走りきることは誇りであり、最大の名誉である。

島内のラジオやテレビでは常に優勝予想や期待のレユニオンランナーの特集が流れている。

島は火山により形成された、独特の火山島地形で、溶岩が海まで達しているため砂のビーチが少ない。

レユニオンはその独特の変化に富んだ地形により トレッキングのメッカとなっており、大きな観光資源でもある。

島自体はフランス領であり、お店や文化は限りなくフランスだ。
英語はあまり通じずフランス語もかなりクレオール訛りが強い。

位置的にはアフリカだが、あらゆる店が揃い非常に発展している。
位置的には近いマダガスカルではペストの流行がありリスクが上がっていたが、レユニオン島自体はフランスと言う事もあり、十分衛生的でアフリカのような衛生面でのリスクはあまり感じなかった。

丹羽さんが手配していた戸建ての
レジデンスは超快適でレースまでの滞在を十二分に楽しめた。




食事は丹羽さんのサポートでアンドラでもご一緒したTさんが用意してくれて、レースに向けて最良の食事を毎食頂いた。

Diagonale des Fous はUTMBのようにスタートゴールが同じ場所の大きく一周するレースとは異なり、島を縦断するように島南西のサンピエールから、北端に位置する島最大の都市 サンドゥニにゴールするラインレース。

最高標高地点は約2300mとUTMBなどと比較するとやや低い。
しかし、無数のアップダウンが獲得標高を稼いでいる。
Road to Diagonale. Finale. 「私のDiagonale もう一つの戦い」 (注意 : 超長文です)

私が 私の人生の最初の100マイルレースを Diagonale des Fous に決めたのには理由がある。もちろん UTMBが外れてしまった事もその理由の一つだったが、昨年の今日 密かに初めて走る100マイルは Diagonale des fousと決めていた。

私は6年前の34歳まで自転車ロードレース一色の人生だった。24歳まで競技に打ち込み、自転車ロードレースの最高峰 ツールドフランスに参加し活躍することを夢見てフランスのクラブチームで必死にその夢を追いかけた。だが現実は厳しく、私はロードレース選手としては本場欧州のレースでは歯が立たず、ツールドフランスなど夢のまた夢、指先にも掛からぬまま挫折したのだった。
その頃、私が憧れていた世界でまるで神のごとく活躍していた選手がいた。
「#Laurent_Jalabert ローラン ジャラベール」選手。

私がスタートラインにさえ遠く及ばなかったツールドフランスで、若い頃はエーススプリンターとして、数々のステージ優勝を飾り、スプリント総合のマイヨ・ベールを獲得、その後スプリンターとしては異例の成長を見せ、山岳でも活躍を始め数々のクラシックレースを制覇、往年にはスプリンター上がりの選手が着ることはあり得ない 山岳賞総合のマイヨアポアを獲得し、山岳最難関ステージを優勝、ワールドランキングで5回 年間最優秀選手となるなど、それまでの常識を覆すまさにフランスのスーパースターだったのが、ローラン ジャラベール氏だ。

引退後はすぐにツールをはじめとするビックレースのテレビ解説者やレポーターとして活躍し、タレントとしてクイズ番組や歌番組のゲストなどにも出演し、まさに国民的スター選手だった。
さらに彼はロードレース フランス代表チームの監督に就任し、フランスチームから数々の世界チャンプを輩出、特にユースの成長は著しく、弱体化しかけていたフランスロードレース界の救世主としても大活躍した。

私には何一つ彼に勝るものはなく、何一つ同じ舞台に立つこともない程に、天と地の差のある神がかった存在だった。 どんなに追いかけても、背中すら見えない、彼にとっては私の存在など知るすべもない別世界の人間だった。

しかし、私は何度か彼と直接接する機会があった。私が選手を挫折し、右往左往色々自転車ロードレース関連の仕事をしていた時、ツールドフランスの記者として彼にインタビューをした事がある。マネージャーにアポを取り、大観衆のサイン攻めをなんとかこなし、「5分だけだよ」と釘を刺されてのインタビューだった。
それから2.3回 ツールドフランスの取材を記者として出かける度に一回か二回彼にインタビューをさせて貰った。真摯で物凄い多忙ななかでも、きちんと質問に答えてくれて感銘を受けた。
でもそれはロードレース界のレジェンドである彼を取り巻く何百人の記者のうちの一人であり、相変わらず彼は雲の上のそのまた上の天界に居るような存在のままであった。

しかし、そんな神のローラン ジャラベールは、私とほぼ同じ時期にランを始めたことを知った。

初フルマラソンは2時間58分代で走ったことを知り、私は初フルマラソンを2時間54分で走った。
私はこの瞬間初めて、ありとあらゆるジャンルで神がかっていた世界のトップアスリートのローランジャラベールに肩を並べる事が初めて出来た。
これには胸がときめいた。

しかし、流石は世界のトップを極めたローランは、すぐにこの記録を更新。なんと2時間45分という驚異的タイム更新をする。

私は2度目のフルマラソンを2時間56分代とタイムを落とし、再び彼の背中を見失った。

ロードレース界のスターとして世界の最先端トレーニング技術を駆使し、あらゆる地形のレースで成功を納めたスターは、引退後もやり始めたらそのポテンシャルは凄かった。
さらに彼にはニコラという、こちらもトッププロとして活躍した兄弟がおり、かれもツールで活躍したスターだった。ローランまでの大活躍は無いが、それでもツールに複数回出場したトップアスリートだ。

そして、その二人が去年2016の今日 「Diagonale des fous」に二人揃って初めての100マイルレースとして参加したのだ。

ジャラベール兄弟は大きなランの大会に出るときは必ずそれなりのトレーニング、準備をしてきている事はメディアなどから知っていた。
そして、2016年にフルマラソン2時間45分を記録している事から、かなり狙ってきていたと思われる。

ローランのDiagonaleの通過タイムを見ると 最初のチェックポイント Domain vichot を135位 1時間35分で通過。これは相当にペースが速く、私は今回同じポイントを419位で通過している。

ジャラベールはその後も190番代をキープしながら後半まで200位前後を行き来するが終盤減速し、最後st denis に 「41時間28分6秒 310位」 で 兄弟のニコラ と共にゴールしていた。

私はこのロードレース界のスーパースター、ローラン ジャラベールの昨年の記録 「41時間28分6秒 310位」 を越えることが、胸の内に秘めた最大の目標だった。 フルマラソン 2時間45分の持ちタイム、自転車ロードレース元世界チャンピオンへの挑戦、それこそが私の秘めたる最大のミッションだった。

しかし、65km地点のCILAOS手前の非常に急なテクニカルなくだりで、突然体調が悪化、吹き出すように激しく嘔吐が始まる。まるで胃が口から飛び出るような苦しみが続き、進むことができなくなった。5分止まりゆっくり歩いて5段降りるとまた吐いた。もはや何も出ず、ただ胃液が出るだけであまりの苦しさに吐くと同時に涙がボロボロ溢れた。あまりの状態に抜かして行く選手のほとんどに 「大丈夫か?助けを呼ぶか?」と声を掛けられた。足は元気だったから「大丈夫、少し休めば行ける」と答えていたが、今までのラン人生で経験のない苦しさだった。

「こんな所で終われない」息子と娘が 頑張れ!とメッセージを書いてくれたフラスクを縋るように握りしめて、よろよろと進んだ。上腕二頭筋がビクビクと痙攣を続け、両手がビリビリと痺れ激しく目眩がしていた。 明らかにハンガーノックと脱水の症状で、エネルギーと水分を胃に入れない限り進めない。 無理やりジェルを飲むと3分後に吐いた。次のエイドまで3kmなのに1時間半以上の時間がかかった。

フラッフラでなんとか水エイドにたどり着き日陰の芝生に倒れ込んだ。スタッフが駆け寄って来て、なにかいるか?と聞いてくれたのでフラスクにコーラを満たしてもらった。 コーラはなんとか飲むことができた。 とにかくコーラの糖分と水分で体を回復しなくてはならない。 このエイドには約20分止まった。

なんとか歩けるようになり4.4km先のCILAOSエイドを目指す。

CILAOSエイドには温かい食べ物やドロップバックがあり、マッサージやドクターもいる、とにかくCILAOSで立て直そう、なんとか食べれる様にさえなれば、歩き倒してもゴール出来るはず。そう信じて進んだ。

でも、もうジャラベールには勝てない…。一つの目標は諦めざる終えなかった。やっぱり、自分は永遠にジャラベールには追い付けない。叶わないんだ。ここでは、そう思っていたことを思い出す。

CILAOSには計画したタイムを大幅に遅れて到着した。ジャラベールは昨年11時間25分で到着。私は 12時間11分で辿り着いた。

即座にドクターエリアに行き胃薬をもらい、ベッドに横たわり、マッサージしてもらった。

「1時間ストップしても良いからここで立て直す」その事に集中した。

何回も何回も息子と娘が応援のメッセージを書いてくれたフラスクを見つめ、折れそうな心を食い止めた。 炭酸水とドロップバックにいれた カルピスオレンジは美味しく飲めた。

ジェルは一切体が受け付けなかった。 エイドスタッフ皆さんが本当に親切で、みんなで食べ物を持って来てくれたり、助けてくれた。

CILAOSは快晴で暑かった。水のシャワーを全身に浴びてさっぱりする。ドロップバックにいれた赤いきつね を食べることができ、ふかし芋もなるべく食べた。経口補水液ものみ、栄養ドリンクを2本飲んだ。 エイドの街は真っ青な空とヤシの木やカラフルな建物、日本には居ない綺麗な色の小鳥が飛んで居て楽園の様だった。

「楽しもう、大会を最大限楽しもう」体は苦しくて仕方なかったが、必死にそう繰り返し言い聞かせた。切り立ったレユニオン独特の山々はアルプスやピレネーとも異なる独特の景色を生み出して居た。たくさんの滝が流れ南国の植物が茂っていた。


この後 前半最大の難所 Col du Taibitが待ち構えている。日陰がほとんどなく暑さに苦しむと言われている峠だ。
このエイドで十分に水分補給し、フラスクも満タンにした。ドクターも顔色がだいぶ回復した、と言ってくれた。隣にいたランナーもエイドインして来た時、血色がヤバかった、と言っていた。

まだ全く走れる状態ではなかったが次のエイドまでは行ける状態になったので歩いて行くことにした。

献身的にお世話してくれたみなさんにお礼を言い、エイドアウト。テクテクと歩いて進む。次々に足取りの軽い選手たちに抜かされたが、気にしなかった。「ゴールだけは絶対にする。」その気持ちだけは変わらなかった。

なるべく景色を見る様にした。本当に美しかった。真っ赤な頭の小鳥、トサカの様な頭の鳥、たくさんのパパイヤやヤシの木、そしてたくさんの応援。噛みしめる様に楽しんだ。

最初の難所 Col du Taibitの上りに入る。72km登り口のチェックポイントは609位 14時間55分で通過。ちなみにジャラベールは 12時間48分205位 で昨年通過している。実に2時間のタイム差をつけられていた。

この登りで約800m標高を上げる。内臓がやられただけで足のダメージはほとんど無かったので、淡々と歩いていたが、一人また一人と抜き始めた。たぶんこのCol du Taibitだけで30人以上抜かしたかも知れない。暑い暑いと言われていたが、神様も私に味方し、最も暑くなるはず頂上付近はちょうど雲が太陽を隠し、涼しく快適に進めた。

Col du Taibitを超えるとかなり涼しく緩やかな下りが続いた。徐々に走れるようになってきた。

78kmのMarla のエイドに着いた。16時間47分 523位。70位近く挽回した。

ゼッケンチェックをする。と、鼻から生暖かいものが。手で触ると大量の鼻血が流れ出ていた。あっという間に手が血まみれになり、私自身その量に 「これは、ちょっとまずい」 と感じた。
すぐさま救護所へ移動し綿をつめた。手は真っ赤。全く鼻には触れていなかったので、不安になった。すぐに血圧を測る。ここで異常が出たらドクターストップになってしまうかもしれない。

不安になった。ドクターが血圧を見る。 「パーフェクト!」 ホッとした。と、同時に力が湧いてきた。

鼻血も無事に止まり、Marla のエイドで食べ物を物色。すると、このエイドにはレユニオン名物のソシス ランティーユというソーセージとレンズ豆のパスタがあり、ものすごく美味しそうな香りが漂っていたので、頂くことに。

CILAOSで体調を崩してから、まともな食事は初めて。おそる恐る口にして見る。

「…う、うまーい!!」思わず声に出た。

厚めの皮のソーセージを噛むと、ジュワッとスパイシーな肉汁?が口に広がり、絶妙な塩加減。パスタとレンズ豆のソースも最高の相性で美味すぎる! 泣きそうなぐらい美味い。これならいくらでも食える! 夢中で絶品ソシス ランティーユを平らげ、エイドのスタッフに駆け寄る。

「うまいよ!これ美味すぎる!だからおかわり!大盛りで!」エイドのお姉さんが爆笑し、お代わりをくれた。 山盛りの二杯目もペロリと平らげた。みるみる力がみなぎってくるのがわかる。

幸せに満たされていた。美しいレユニオンの大自然と最高の地元料理。さっきまでの地獄の苦しみを忘れ楽しさが溢れていた。

絶対ゴール出来る。この Marlaのソシスランティーユが私にそう思わせてくれた。

ここから、私の快進撃が始まった。
Marla72kmから先は Mafateと言われるレユニオン内で最も山深い過酷なアップダウンが繰り返すエリア。
車は入れず、エイドへの物資は全てヘリで運ばれるほど山深い。
何度も何度も急峻な山を越えては下り川を渡ってまた登り返す。体は劇的に動いた。

まるで山の精霊が体に宿ったかの様に体は軽く乳酸の痛みを全く感じなかった。 87kmのSentie Scoute 19時間05分 331位で到着。実に約200人この15kmで抜かす。
ジャラベールは17時間06分 190位で通過している。

Sentir Scoutであずけていた 「カレー飯」とカルピスオレンジを補給。カレー飯はウルトラトレイルの必携品に認定しても良いと思う。美味すぎる。

この神がかったランニングハイをできる限り長続きできるように、丁寧に丁寧に気持ち良さに任せて飛ばさず、ランニングハイを最大限節約して引き延ばすイメージで進み続ける。

登りではひたすら抜かし続けた。面白いようにひたすら抜いた。途中でCILAOSで吐きまくっていた時、すごく心配してくれたランナーに追いつくと、覚えていてくれて「おい!おまえ!復活したのか!何だ、全くフレッシュじゃないか!信じられない!さっきとは別人だな!めいいっぱい楽しめよ!」と、声を掛けてくれた。

「自分でも信じられないよ、Marlaのソシスランティーユが美味すぎて、そっから絶好調なんだ!」そう言葉を交わし、まるで鹿のようにサクサクを山道を走った。この辺りは近年稀に見る山の精霊降臨状態で、まるで自分がレユニオンの動物になったような最高のランだった。

次第にに回目の夜が近づき、夜がやって来た。いったい何回山を越えたかわからない、何だかミスコースして同じ山を何回も登っているような感覚になる。前を見るとはるか下にライトが光、後ろを見ると谷を挟んで谷底からさっき降って来た山の上までチラチラとライトが光っている。

はるか向こうにもチラチラと山の高いところに光が見える。疲れていたらその光に滅入っていたかもしれないが、今の私は登りが全く怖く無かった。無限に登れるような感覚だった。

ランニングハイをキープしたままついにラスボスと見ていた高低差1000mピークは2020mのMaido 麓のエイド Roche plate106km に23時間57分 315位で到着。
ジャラベールは23時間15分 225位で通過している。

私はこの時点でジャラベールとのタイム差も順位も分かっていなかった。だが感覚的に彼に迫っていることを感じていた。CILAOSで一度は諦めたスーパースターの背中が見えて来ていると感じていた。

このエイドには高低差1000mを手前に戦意喪失したランナーが多く横たわっていた。サバイバルブランケットに包まれた体がたくさん横たわっていて、食べ物を掴んだまま眠りそうなランナー、唇が紫で吐き気と格闘するランナーだらけだった。

私はまたソシスランティーユが食べたかったが、このエイドには無かった。さらに次に好きなPatate douce ふかし芋も無かった。これは計算外だった。 食べれる物がない。しかし最大の難所を越えるには食べなくてはならない。仕方なくパンケーキとパテの塗られたパンを食べた。頂上のエイドまでは4.5kmと言う。 しかし、めちゃくちゃきついぞ!との警告。

夜でかなり冷え込んで来ていて、あまり長く止まりたくなかったので、5分ほどでエイドアウトした。

この時 2日目の夜10時に突入。私はここまで一睡もしていない。短いエイドストップだったが体が冷えてしまい、震えがきた。早く温めるためにとにかく進んだ。

この時間からラスボスに登ることを敬遠したのか、ほとんどランナーの気配がなくなり何度もロストしたのではないかと不安になる。

実際一度コースミスし、ものすごい崖の行き止まりになり、元に戻る。 体のバランスが悪くなんども転びそうになる。

さらに容量十分だったはずのベッドライトが暗くなり始め、ウエストライトの光量も減少。なんてこった…。スペア電池を送るエイドを間違えてしまったのだ。すでに一度電池交換していたが、そのバッテリーの持ちがなぜか悪い。

視界が悪くなんどもつまづき始め、さっきまで無限に登れそうだった足がついに重くなる。
このMaidoの登りのために丁寧に節約して来たのだが、今一歩足りなかった。
Maidoの登りは、これまでの登りを凌駕するキツさだった。腕を使わないと登れない急登が多数出現し、右側は漆黒の奈落の底、ものすごい崖でほぼ真下にかすかな灯りがちらつく。万が一眠気でふらついて落ちたら死ぬ。

前にも後ろにもランナーの気配がなくなり、私は目に見えぬジャラベールとのバトルを不思議と妄想していた。マイヨアポア着るスーパースターのジャラベールに食らいつき、ひたすらアタックをかけ攻め続ける自分をイメージしながら自分を鼓舞し続けた。俺があのスーパースターを超えられるチャンスはここしか無いんだ!足元にも及ばなかった自分が、彼を超えられる一生に一度のチャンスかもしれないんだ!そう繰り返した。

Maidoの登りは1900mあたりまで登ってからなかなか頂上にたどり着かなかった。ちょっと登っては下り、頂上にたどり着かせてくれない。

やっとの思いで頂上にたどり着くが、エイドはここから約20分だと言う。

頂上は寒く風が体温を奪った。今大会初めてゴアテックスジャケットを羽織る。足は走れなくなった。早足でエイドを探すがなかなか着かない。またゲップが出始め、内臓トラブルの予兆を示す。危ない。2度目は回避したい。エイドはまだか。

ふと空を見上げると、信じられないくらい眩しいオリオン座が見える。ふと、ベッドライトを消した。

「うわぁ!なんだこれは!」
見える全ての星が一等星のように眩しく光り、まるでプラネタリウムの中にいるように凄まじい星が見える。オリオン座がこれほどギラギラと光り輝く姿は初めて見た。なんて眩しいんだろう!

レースの苦しさを忘れ見とれてしまう。 さあ、エイドへ急ごう。とにかくここは寒い。次のエイドも長く止まれない。ここからながい13kmの下りですぐに標高が下がらない。

やっとMaido tete dure 113km には26時間19分 263位で到着。

ジャラベールは27時間36分 290位で通過しており、つまりは私は最大の山岳、ロードレースで言うならば最後の超級山岳でジャラベールを抜かし引き離したのだ!
ここまで最大2時間以上遅れていたが、ついにこの最大の難所 Maidoで、ジャラベールを抜いた!!

エイドは寒く温かいスープと紅茶を補給。レインパンツを履いてグローブをした。
相変わらずソシスランティーユは無く、ガッカリしたが ふかし芋があったのでしっかり食べる。

みるみる体が冷え、早く進まなくては危険だ。

急いで準備し、歯をガタガタ言わせながらエイドアウトする。すると 「おい!ちょっと待ってくれ!俺と一緒に行こう!」そう声をかけて来たランナーがいた。

ジョーと言う速そうなランナー。 「ちょうどライトが消えそうで一緒に来てもらえるとありがたい! 」と伝えると、照らしてやるから一緒に行こう!と 共に下ることに。

次のエイドまでは13kmの下り。だがこのくだりは曲者だった。なんどもアップダウンを繰り返し全く降っていかない。私のライトはなんと5ルーメンまで光量が落ちてしまい、ジョーがいなければ瀕死の状態に陥った。しかし、そのジョーが眠気にやられ「あーねむい!やばい!ねちゃう!」と何度も減速。必死に「がんばれ!寝るな!ここで寝たら低体温で死ぬぞ!」と声を掛ける。

しばらくすると今度はジョーが「ダメだ!ウンコがしたい!」と言い出す。ジョー、頼むよ、俺は早く降りたいのにお前のお腹が降ってどうする。

仕方なくジョーの野糞を待つ。待つ間に数人に抜かれるが、ここまで照らしてくれたジョーを見捨てるわけにもいかず、彼の用が済むのを待つ。

ジョーのウンコが終わる頃、ちょうどもう一人来たので、ライトが消えそうで一緒に行って欲しいと頼む。

ブルターニュからきている選手で長身で速い。必死でついて行く。くだり足が死んで行くのがわかる。しかし、ここで離れるわけにはいかない。
いつライトが完全に消えるかわからない。
ジョーは新たな話し相手を見つけ眠気から復帰していた。3人で色々話しながら果てし無く終わらない下りを降り続けた。
長い、本当に長いくだりだった。

やっと、やっと街に入り 29時間20分 262位で127km Sans Souci のエイドに到着。
ジャラベールは30時間48分 291位で到着している。
このSans Souci という町の意味は直訳すると「心配ない」と言う意味なのだが、行けども行けどもたどり着かず、誰しもが心配になりまくる真逆の街であった。

今まで無敵に感じた私の足は完全に終わりを告げ、崩壊していた。このエイドには名物のクレープと飲むヨーグルトがあり、クレープと飲むヨーグルトをいただく。美味しい!また整体師がおり、マッサージを受けることにする。
足を洗い、美しい女性マッサーがクッサい日本人のオッさんの足を揉んでくれるのは申し訳ない。
毛布に包まり、揉んでもらうとたちまち寝落ち。

15分で起こしてくれと伝え、眠りに落ちる。

スタッフに肩を揺すられ15分の眠りから目覚める。体が重い。しかし!ここにはソシスランティーユがあるらしい!!

嬉しくなって食堂へいき、大好きなランティーユソシスを頂く。相変わらず美味い!クレープと合わせて腹一杯だ。
残すは約42kmここからフルマラソンだ。体は満身創痍だが、完走は確実と感じていた。あとは不意の転倒や負傷に最大限の注意が必要だ。足にはマッサージオイルや汚れでもはやテーピングが着かず、テーピングなしの状態だ。

走り出しは足が痛すぎてやばかったが、ここでついにロキソニンにお世話になる。体が温まるとまたジョグできるようになり、平坦はしっかり走った。

ここからゴールまではもう低山しかない。急に村を抜けるローカルな草レースのようなコースになり妙な安心感。無数のニワトリの鳴き声とともに 夜が明けてきた。この辺りからロードに出たりトレイルに入ったりを繰り返す。
施設エイドでおばあちゃんがコーヒーを振舞ってくれて心温まる。そのごサトウキビ畑の中を藪漕ぎするように抜けると、岩ゴロゴロの偉いテクニカルなジャングルセクションへ。走れる林道も多数あった。標高も下がり暑くなり再びノースリーブになる。
この区間もひたすらおしゃべりジョーと一緒に進む。彼のおかげでダレずに後半も距離を消化できた。

最後の大エイド la possesion は143kmぶりに海沿いの海抜ゼロメートルのエイドに 33時間55分 236位で到着。ジャラベールは35時間43分 297位。大会時は私はジャラベールからリードしているのかどうかは分からなかったが この辺りで勝てるのではないかと感じていた。

ここから最後の難所 Chemin de anglais と言う、昔イギリス占領時代に作られた火山岩の恐ろしく荒れ果てた日照りの石畳を登るセクションだ。

ここは2015年に無敵の帝王フランソワデンヌが苦しさで泣いたと言う、伝説のセクションである。標高も斜度も大したことはないのだが、ここまでの厳しいエリアで消耗しきった体にはまったく日陰のない見渡す限り続く黒い石畳を進むのはメンタルに応える。

しかし私にはジョーと言うおしゃべりな相棒がおり、みるみる元気になるジョーに引き回されてガシガシこのセクションは攻めまくった。

151km Grand Chaloupe を35時間28分で通過。最後の最後の上りに入る。満身創痍だが着々と迫るゴールを感じ、どこか心地よい。動き続けた登り足もついに力つき、同志のジョーについて行けなくなる。最後の上りははるか向こうに見える白い水タンクまで登るとジョーが教えてくれた。めちゃくちゃ遠くに見える。でもとにかく進めばつく。足裏が痛い、足首も痛い。左足はまっすぐ伸ばせなくなった。でも、もうすぐゴールだ!

しかしこの最後の上りは丹羽さんも大瀬さんも皆口々に曲者と言わせる嫌な上りだった。傾斜はきついが景色も日陰もなくいつまでも頂上につかない、何度もロードに出てはくだり、標高を下げてからまた登るいやらしい設定。

後から聞いたが昔は最後の山まで国定公園のMafateのようなトレイルだったらしいのだが、貴重な保護動物の鳥の繁殖地を通過していたらしく、現在のルートに苦肉の策で変更になったそうだ。

私は約37時間を15分の睡眠だけで乗り切って来たツケがついに回ってきた。眠気は大丈夫だったが、もう力が出ない。下り足は壊滅した。くだりは一歩一歩に激痛が走る。頂上に出ると突然天国のような広い広い芝生の広場に出で眼科に真っ青な海が広がっていた。

涼やかな風が吹き、体を冷やしてくれた。

「綺麗だなあ、天国ってこんな所だったら良いな」 そんなことを呟いた。そして、ついに最後の水エイドに到着する。あと5kmで、長い長い旅が終わる。

シロップ水を補給し、すぐにエイドアウト。疲れ切っていたが、ここで休むより早くゴールしたかった。

もうヨレヨレだった。最後の下りまで世界のグランレイドレウニオン は休ませてくれなかった。最後まで激烈テクニカルな危険な下りだった。

木につかまりながら、ウグッ!ウォッ!イタタ!と叫びながらヨタヨタ降った。 たった5kmなのになかなか着かなかった。

はるか前に抜かした数名にかるーく抜き返されたが、もうどうでも良かった。
一歩一歩ゴールへ進んだ。高速道路が見えてきて最後の計測を過ぎるとスタッフに 大会Tシャツ絶対着なさいよ!と注意される。

そうこのグランレイドレウニオン のルールでスタートとゴールは必ず大会から提供されるシャツを着なくてはならない。着ないからといってペナルティは無いらしいが、着ないでゴールする選手はほぼ居ない。私は最後のドロップバックに入れ忘れてしまい、丹羽さんのサポートの田辺さんにもし渡せたらゴール前に下さい、とお願いしていた。高速の下をくぐり、ついにゴールのスタジアムが見えると 田辺さんが待っていてくれた。

「おーい!田辺さん!」と叫ぶと「わあ!はやい!すごい!」と迎えてくれた。ゴール直前で大会Tシャツに着替え、www.fields-on-earth.com のフラッグを貰い、St Denisの Stade La Redoute に入る。

最後のトラックに入った瞬間、一瞬泣きそうになる。でも、笑顔でゴールしなきゃと、飲み込んだ。

そして、丹羽さん、大瀬さんに迎えられて、ついについに 私のはじめての100マイルを完結した。

165.69km 総獲得標高 9553m 38時間44分14
226位 マスター1カテゴリー 76位

そして、一度は完全に諦めた私の密かな目標、ローラン ジャラベールへの挑戦。 ローランジャラベール 41時間28分06秒 310位。今までどんなに追いかけても、決して届く事のなかった憧れスーパースターを、この超絶に過酷なウルトラトレイルワールドシリーズという世界最高峰の大会で、ロードレースではありえない、165kmで9553mと言う過酷な舞台で、はじめて越えることができた。

私が胸の内で1年間温めていたミッションは、見事にコンプリートされたのだった。
出場が決まったのは大会の約1ヶ月前だったが、時間が短いなりに極めて集中して良い練習ができていたので、かすかな期待はしていたが、本当にそれを実現できて本当に嬉しかった。

私はロードレースに携わっていた時代、日本のトップ選手に「世界なんか目指したって無駄だ」と言われた。その言葉は忘れられない。その言葉を発させてしまった自分も許せなかった。 そんな事はない、と理解して貰えなかった自分の無力さに失望した。

あれから6年、やったこともないスポーツを全くのゼロから始め、今日ワールドツアーのグランレイドレウニオン で、私はローラン ジャラベールに約1時間30分の差を付けてゴールした。別に何も伝わらないかもしれない。別にそれでも構わない。やれば出来る、やれると信じて頑張れば出来る、その事実だけは自分は達成した。そして、それは素晴らしい達成感に溢れている。

この大会を走れて本当に良かった。
ずっと自分の中に掛かっていた霧が晴れたような気分だ。たくさんの方々に支えられ、初めての100マイルの酸いも甘いも味わい、その難しさと奥深さを存分に楽しんだ。これは追求するべき楽しさだ。

スタート前、もしかすると100マイルは最初で最後のチャレンジになるかもしれないと思っていた。ズタボロになって、もう2度と出ないと思うかと恐れていた。

今、私は早く次の100マイルに出たくてしょうがない。100マイルの面白さに完全なハマってしまったようだ。

この素晴らしさを一人でも多くの方に体験してほしいと思う。その思いを忘れずに、www.fields-on-earth.com のツアーを企画していきたいと思う。

最後に、一緒に遠征してくれた丹羽選手、田辺さん、大瀬選手、大会情報を提供してくれた今回6位の Gay Anthony 選手、Frederic Ohanian さん、プライベートエイドで献身的にサポートしてくれた Raidersの皆さん Marcさん、大会主催者、ボランティアの皆さん、そして私をトレランの世界へ導いてくれて、初めてご一緒できた 鏑木選手に 心から感謝申し上げます。
そして応援メッセージのフラスクを作ってくれた娘と息子、お母さんに何よりも感謝しています。ありがとう。あれが無ければゴールできなかった。

まだまだ、私の挑戦は始まったばかり。もっともっと上を目指して頑張りたいと思います。

超長文 読んでくださった方、ありがとうございます! お疲れ様でした。笑

激動の夏が終わって

  • 2016.09.02 Friday
  • 06:47

 

こんなに長いことブログを更新しなかったのは、もしかしたら私がこのブログを書き始めて以来かもしれない。

描きたくなかったわけでも、忘れていたわけでもなく、この夏はブログに時間を割くことは全くできなかった。

むしろ書きたいことは山ほどあるに書けなかったことが残念だった。

 

あまりに沢山のことがありすぎて整理しきれないが、まずは少しでも早く書いておきたいことから、書いていこうと思う。

 

初めて企画したUTMBツアーは、当初の予想をはるかに上回る反響で35名も集まっていただいた。
そのため当然ながら準備作業も大変で、TDSのために早く入られる方、短期間の方、長く滞在する方、多様なスケジュールをミスなく手配するのは簡単では無い。
だけど、ここを一つでもミスると、せっかく楽しみに来てくださる方の旅を台無しにしてしまいかねないので、遅延や欠航などの対処も考慮しつつ、準備。

この6.7.8月だけで100名以上のお客様のツアーを手がけ、こんなに頑張った三ヶ月は無かっただろう。

今UTMBを終えて、ホッと方をなでおろしているところだ。

そして、私自身もCCCに参加した。

UTMBの盛り上がりは、やはり別格である。
今や魅力的な大会はどんどん増えて、コースの難易度としては決して最難関の大会では無い。

しかし、間違いなくウルトラトレイルと言うジャンルを確立し、一気に世界に広めたのはこのUTMBであり、トレイルランの世界において、不動の地位を築いている。

欧州のバカンスシーズンの最終週末と重なる事もあり、一般観光客も含め、フランスシャモニーはMAXの集客となる。
CCCは、モンブラントンネルを抜けた先、イタリアのクールマイヨールをスタートし、スイスのシャンペを通過、フランスのシャモニーにゴールする101km.獲得標高6100m のコース。
自らの足で三カ国の国境をまたぐ、壮大な旅だ。

6月に走ったモンブランマラソンは82kmで獲得標高6200mだったので、難易度としては同等と予測した。

ただ距離が約20kmも長い事から、モンブランマラソンの完走タイム17時間フラより1〜2時間は余計にかかるとなんとなく感じていた。
私はレース計画を立てない。予定通過時刻なども決めない。心拍計もつけないし、時計も付けるけれどほとんど見ない。

ただスタート前に距離と獲得標高、コースプロフィールをなんとなく眺め、何となく、これぐらいでゴールでは無いだろうか?と根拠のない予測を立てるのだが、これがなかなかの精度になりつつある。

 

CCCスタート直前まで自分のレースに集中する時間はなかった。24日朝6時スタートのTDSの送迎に朝3時半起きでおこなったり、スイススタートのOCCの送迎も早朝、受付の同伴などひたすらシャモニー周辺を走り回っていた。

 

自分のレース参加はあくまでおまけ。ツアーの皆さんがきちんと全てのレースに参加できて、安全に帰ることが最優先。

 

無事全員がスタートゲートに並び、私はCCCのウェイブスタートの最前列だった。

その時まで知らなかったのだが、ゼッケン3000番台がITRAポイントランキング上位者らしく、なんと同じ3000番代にはあの上田瑠偉くんもいた。

 

クールマイヨールのスタートに並んでいると、なんと瑠偉くんが声をかけてくれた。

そう、ここCCCにくる約1ヶ月前、瑠偉くんのスペイン・スカイランニング世界選手権 Epic Trailのツアーも帯同して、ヴァーティカルとスカイの総合で争う「コンバインド」で瑠偉くんが世界2位銀メダルを獲得するのを間近で見ることができた。

 

そんな流れもあって、こんなおっさんランナーでさえ、瑠偉くんは声をかけてくれるようになったのである。

本当に嬉しいことだ。

 

今回のUTMBには家族も連れてきた。この先これほどの大きな舞台で走れることはあと何回あるかわからない。

できるうちに1回でも子供たちに自分が世界の舞台で走る姿を見ておいて欲しかった。

特に娘は昨年のモンブランマラソンには一緒に来ることができなかったので、最初で最後のつもりで連れてきた。

 

娘はお年頃で思春期になり、会話も一緒に過ごす時間も非常に少なくなった。

こうして私のレースを見に来るのも、もしかしたらこれが最後かもしれなかった。

 

すごくつまらなさそうにするかもしれないと思っていたが、期待を裏切り、娘はシャモニーでの滞在をとても楽しそうに過ごしていた。その証拠にいつもより私とよく話したし、2人で一緒にカレーを作ったりして、普段ではあり得ない体験をさせてくれた。

 

本人は全く走る気はないようだが、周りの日本人たちが頑張って走っている経過をえらく気にかけていて、TDSのレース中などもなんどもライブトレイルの情報を調べろと私に言ってきた。

思いがけず強く興味を持ってくれていることに、密かに嬉しかった。

 

いよいよCCCスタート地点にあのUTMBのテーマソングが流れる。

ここイタリアをスタートし、スイスを通り、フランス シャモニーにゴールする101kmの壮大な旅が始まる。

このトレイルランニングという世界において、頂点の大会はUTMBだが、その約6割の同じコースを走るCCC。そしてこの距離を得意とする世界のトップランナーが集まるこの大会。私が挑戦するスポーツの大会として、私の人生の中で最も大きなチャレンジであることに間違いなかった。

 

このブログを書き始めたきっかけ、いつか、いつの日かUTMBを走ってみたい。

その舞台の入り口に、私はついに立ったのだと感じていた。

あの激しい挫折の中、引きこもって部屋で一人PCの画面で眺めていた鏑木さんが走るUTMBの世界。

あの時唯一興味が湧き、すごい世界があるもんだな、とまさか数年後に自分がその舞台にやってくるとは夢にも思わなかったあの場所に、今立っているのだと、その現実を噛み締めようと必死だった。

 

そしてその最高の舞台で大切な家族が私の旅立ちを応援してくれている。

最高に幸せな瞬間だった。

夢のような気持ちだった。

 

ついに来たんだ。

 

スピーカーと全てのランナーから大きな声でカウントダウンが始まる。

「チンクエ!クワトロ!トレ!ドゥエ!ウノ! パルテ!!!!」

 

ヘリコプターが撮影するイタリアクールマイヨールの町から、1900名のランナーが一斉に飛び出して行く。

 

「ああ、ついに、ついにスタートした!」

同時にどこか寂しさも感じていた。いつの日かと憧れていた瞬間が今やってきた。

でも、もうそれがやってきたということは、その憧れの時間の終わりが近づいているということでもある。

ああ、永遠に続いていてほしい。終わらないでほしい。こんな幸せな時間を、終わらせないでほしい。

 

そんな思いも交錯した。

自分はいち早くゴールにつけるように頑張りたい、でも同時に早くゴールしてしまうのはこの夢のような時間を短くしてしまうような気持ちでもあった。

 

空は引き続き真っ青に快晴だった。

クールマイヨールの町をぐるっと回るように、また町の中心を通っていく。

凄まじい完成と拍手。まさしく世界最大のイベント。鳥肌が立つ。

うれしい。ほんとうにうれしい!ここを走れることが。

 

町を抜けると早速山に向かってしばらく峠走となる。

コースの試走はしていないから、この登りがどれぐらい続くのか皆目見当がつかない。

ストックをどのタイミングで出すかもわからない。

でも、なんとなくこの先の雰囲気で早めにストックを出し、ロードの登りでもストックを使い始めた。

 

バンバン抜かれてゆく。願わくば100位以内を狙いたいと思っていたが、早々にそれは非常に難解な目標であることがわかる。

自分の調子が悪いのか、周りのレベルが高いのか、その両方の可能性もあった。

正直練習は全くできなかった。

でも、それは怠けたわけではなかったから、気持ちの整理はついていた。

この現状でのベストを尽くそう。

 

しばらくして森の中へコースは進路を変えて、いろいろトレイルに入ってゆく。

さあ、いよいよ始まった!

CCC101km の旅が!

 

つづく

UTMB 抽選結果! なに〜!

  • 2016.01.14 Thursday
  • 00:18

日本時間18時に発表されるとのこと。

ちょっとフライングしてUTMBサイトを覗いてみる。

17時50分。
名前を入れて、ログインしてみて、

。。。??

あれ?

オレ、当選してね?

17時55分

むむむ、これは、、
当選していますね。。

なんかちょっとフライングですでに当選の事実を知ることに。

私が当選したのはUTMBではなく「CCC」です!

CCCも、当初出る予定ではなく、2017年に出たいので、今年外してもその分来年の当選率が上がるはずだから、という理由でのエントリーだったのですが、当たってしまいました。
エントリー倍率もハセツネに比べて100%になるのに時間がかかっていたように思います。
だから、なんとなく当たってしまうかもしれない予感はしていました。

結果オーライ!
せっかく頂いたチャンス!
スイッチ入りました。

今年のメインイベントは「CCC」で決定!!
 
イタリア、スイス、フランス国境を駆け抜けます!

UTMB注目のツアーはこちら!!
大瀬和文選手と行くUTMB,TDS,CCC.OCC参加ツアー

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UTMB, TDS, CCC, OCC抽選結果!

  • 2016.01.12 Tuesday
  • 21:50


いよいよ、UTMBのエントリー抽選結果発表ですね〜
ウルトラトレイルの最高峰を確立したUTMB。誰しもが一度は挑戦してみたい大会。

私もダメ元でCCCにエントリーしてみました。

私も少しでも多くのランナーの皆さんに、最大限の力を発揮して参戦できるように
大瀬和文選手と行くUTMB,TDS,CCC.OCC参加ツアー」の作成を頑張りました。
宿泊先も、実際に自分で回ってベストな場所を選びました。
全てを出し尽くしてゴールしたあとも、すぐに戻れる、レースの前後もシャモニーを楽しめる、大会会場のあまりに近くだと賑やかすぎて前夜など眠れないこともあるので、少しだけメイン会場から数百メートルだけ離れて、ゆっくり休めて自炊ができて、自分の体調に合わせて食事を用意できるようなコンドミニアムステイがメインでの用意です。


ツアーゲストランナーは2014UTMBで日本人1位の大瀬和文選手!
UTMBツアーご参加者はサロモンのランニングクリニックを、2回無料で受けることができます!
さらに!
UTMBスペシャル企画

フィールズ・オン・アースツアーでUTMBご参加者で「上位20位以内」、「TDS,CCC上位10以内、OCC3位以内」でゴールされたランナーは、2017年度「トランスヴァルカニア」もしくは「グランレイド・ピレネー」参加ツアーに「無料ご招待!」致します!
※上限3名様までとさせていただきます。

もしも、UTMB,TDS,CCC,OCCに外れてしまっても、アンドラウルトラトレイル参加ツアー、
グランレイド・ピレネー公式ツアー、トランスヴァルカニア参加ツアーがあります!

アンドラウルトラトレイル参加ツアーでは、なんとなんとツアーご参加者で「170km、112kmのレースのすべての年代別(女性も含む)上位3位入賞ランナー様」に2017年のグランレイド・ピレネーもしくはトランスバルカニア参加ツアーに無料ご招待!スペシャルイベント開催中!
さらに!キリ番「10位、20位、30位、40位、50位」でゴールした方に

10位 ¥10000分のツアー割引券
20位 ¥8000分のツアー割引券
30位 ¥6000分のツアー割引券
40位 ¥4000分のツアー割引券
50位 ¥3000分のツアー割引券

をプレゼントいたします!
※次回ツアーご参加時にご利用いただけます。有効期限は2017年末
※航空券は含まれません。弊社指定ツアープログラムでのご招待となります。

外れても、ガッカリせずに是非これらのUTMBに勝るとも劣らない厳しく壮大なウルトラトレイルに挑戦できます!
エントリー枠はそれぞれ10〜20枠限定ですので、お申し込みはお早めに!!



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UTMB 2015

  • 2015.09.06 Sunday
  • 22:31
JUGEMテーマ:マラソン・ランニング
 
私の担当するスポーツセクションのツアーサイトが公開されました。
www.fields-on-earth.com
まだ、完成しておりませんが、随時更新されて行きますので、チェックしていただけたら幸いです。

UTMB2015,本当に素晴らしい感動の連続でした。
完走された皆さん、本当におめでとうございます!

そして、今年は完走を果たせなかった方も、その挑戦を尊敬します。
リタイヤの決断は本当に辛く悔しい思いでいっぱいだったことと思いますが、きっとその悔しさが、次へと繋がって行くと思います。 本当にお疲れ様でした。

UTMBが世界最高峰と言われる所以、現場でひしひしと感じてきました。
いつか、必ず挑戦したいと心に誓いました。
xavier
圧倒的強さで2回目の勝利を挙げたグザビエ
voza1
日本人最高位12位の土井選手(後ろ)が最後の峠フレジェールを目指す。 bovin2
絶景のBovin峠

La giete 補給所近くを通過するランナー

フレジェールからゴールに至る最後の下にある、小さなカフェ

スイスLa Gieteの補給所

フレジェールからモンブランを望む

感動のシャモニーゴール

シャモニーでは多くのメーカーが出店するブースが大にぎわい。世界の大会オーガナイザーブースも。

UTMB,TDS,CCC,OCC各大会トップ3が出揃いUTMB2015幕を閉じた。

確補給所、コース等を視察し来年の参戦ツアー開催に向けた準備を進めました。
大瀬選手、小原選手ともお会いし、お話を伺うことができました。
やはり、12時間以上経過したあたりで発生する内臓トラブルが、多くの選手を苦しめるようで、私自身もモンブランマラソンで同じ苦しみを味わいました。
小川壮太選手、奥宮選手、石川選手、小原選手ら日本のトップランナーが残念ながらリタイヤとなる、本当に厳しいレースです。
しかし、そんななか12位に食い込んだ土井選手の健闘は脚光を浴びていました。

日本のトップランナー全てが、まちがいなく実力もあり、強く速い選手たちです。
でもUTMBのような170kmのウルトラは、強さ、速さ、とはまた異なる力が求められるのだと強く感じました。

そんななか、わたしはアレクサンドル・ペレという61歳のランナーと知り合いました。
私が11年前共にアフリカの自転車ロードレースで知り合った友人の父親で、彼は61歳にして確か31時間09分で170kmを走りきりベテラン3カテゴリーで優勝した、UTMBの仙人のような方です。

彼のトレーニング法は、ものすごく驚愕する内容であり、内臓トラブルの回避方法も、大変勉強になる話でした。

大瀬選手、野本選手が通過して約40分後にやってきた61歳のアレクサンドル・ペレ氏

昨年ベテラン2カテゴリーで2位、今年はベテラン3カテゴリーで優勝を果たした。

http://www,fields-on-earth.com
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キリアンとフランソワ・デンヌの対決

  • 2014.10.31 Friday
  • 00:56


グランレイド・レウニオンも フランソワ・デンヌの連覇で幕を閉じました。
もはやウルトラでは無敵状態ですね。山本選手の健闘も光りました。
何時か自分も出てみたいものです。

そしてスカイランニング ワールドシリーズはキリアンの土壇場。

最近こんな妄想を勝手にしてみました。

名付けて「是非見てみたい!実現したら凄いレース。」
*あくまで個人的で勝手な妄想です(笑

1:キリアン、フランソワ・デンヌ、グザビエ・テヴナール、鏑木毅、宮原徹選手の参戦するUTMB。
  私は勝手に宮原選手最強説を唱えています。本気で狙った時、宮原選手はキリアン、フランソワに接戦するのではないか、と勝手に妄想しています。

2:キリアン、松本大、宮原徹選手の参戦する 富士登山競争
  スカイランナー日本最強 VS 世界最強

3:キリアン、フランソワ・デンヌ、山田瑠偉、松本大、宮原徹選手の参戦するハセツネ
(ウルトラ最強のフランソワが夜間走、補給1回と言う特殊なハセツネでどれほど強いのか?最強スカイランナー、バーチカルランナーの松本、宮原選手がどんな走りをするのか見てみたい)
 サブ7の超速ハセツネの実現なるか?

どれも、なかなか実現困難ですが、もし見られるなら是非見てみたいですね!!

そして「是非経験してみたい!実現したら凄いレース」

1:自分とキリアンの対決・・・笑

これ、実は妄想ではなく
・・・実現する可能性、ありかも?
まあ、「対決」、にはならないとは思うのですが、同じスタートラインに立てるかもしれないのです・・・

詳細は、また後日更新予定・・・



UTMBを完走後にトルデジアン330kmを走る

  • 2014.09.11 Thursday
  • 01:43

終止悪天候に見舞われ、例年以上に過酷を極めたUTMB2014。

強豪選手も多くがリタイヤ、もしくは後半大幅にペースダウンする中、しっかりと上位完走し、

更に中6日?という、ありえない感覚でトルデジアン330kmという、

これまた過酷を極める大会を走りきった、あり得ないランナーがいた。



しかも、UTMBは24位、トルデジアンは同着2位(3位)らしい!!

優勝したフランソワ・デンは確かにものすごく強いが、もしトルデジアンもでなくてはならない、

と言う条件にした場合、このランナーに勝てるのかどうかは不明だ。

このとんでもない偉業を成し遂げたのは クリストフ・ルソー。

たしかUTMFにも来ていたのでは?



しかし、こういう事をやろう!とエントリーする思考が、まずありえない。

人間とは走り続けるとここまで進化するのか。 TJARを是非走ってみてほしいものだ。



いやあ、本当にそのタフさに愕然ですね。



Bravo!

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UTMB2014 小原将寿選手46位 クルピチカの直ぐ前でゴール

  • 2014.09.06 Saturday
  • 01:03
私の夢であるUTMB2014が終了。
映像を見る限り、画面にはっきり写る程のひどい雨の中、相当過酷な環境の中での戦いだったようですね。
欧米人は平熱がアジア系日本人よりも高く、寒さには強いと言われています。
欧州、北欧のアスリートは晴天よりも悪天候になればなるほどアドレナリンが出て、闘志があがる選手も少なくありません。

そんな厳しい状況の中、大瀬選手が日本人1位で26位と注目されましたが、私はあえて「小原選手」 の46位完走に注目。 優勝候補の一人だったアントン・クルピチカは中盤まで4位につけるものの体調を崩し、ストップ。

47位でゴールしています。 その直ぐ前46位でゴールしたのが小原選手。
小原選手は、実は私のご近所さんであり、私が初めてトレイルの大会に出た時の優勝者であり、 初めて私のブログにコメントしてくださったトップランナーであり、 私と同じように鎌倉アルプスや丹沢山系育ちの選手であり、 誠に勝手ながら私の目標であり、応援している選手なのです。

30〜40km前後のレースでは常に表彰台の常連であり、私にとっては神がかったスピードの持ち主の 市民トレランナーの頂点が、どれほど世界に通用するものなのか、大変興味がありました。

本当にすばらしい結果、完走おめでとうございます!! そして、その背中を勝手に追いかけているものとしては、とても勇気づけられます。

自分も頑張ろう!!というモチベーションになります。
今年はあまりレースに出ていなかったので、故障でもしてしまったのかと心配していましたが UTMBのスタートリストを見て納得しました。
私も、なんとか2〜3年後には同じスタートラインに立てるように、頑張りたいと思います。

しかし、同時に感じたのは、鏑木さんの偉大さですね。
3位。。。
すごい。
改めてそれがどれほどの偉業なのか、感じさせられました。

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